2017/08/02

外食が減った理由

最近外食が減ったのは考え方が変わったからかもしれない。

以前は行ったことがない好みと思われるレストランの噂を聞くと、行ってみたくてたまらなかったし、実行もしてきた。
食だけでなく、収集癖や仕事もあって服飾品の量は多いほうだった。
凝りやすく飽きやすいため、モノは変われど、部屋には常に何かがみっちりとあった。
興味がないことも、どうにか人並みに興味を持って囓っておこうとしていた。
でも、なんだか疲れるというか、その一瞬しか満足を保持できない。

10年以上前のELLE UKのチャレンジ企画に感銘を受け、足に合わない靴や小さすぎて持てないバッグや着ると食事ができない服を溜め込まないようになったが、それでも処分できない妙に好きなものはあった。
そいつらはときめきを感じさせはするけれど、その分、存在の主張も激しい。
仕事で変化があって、それまで必要だったものがいらなくなった時、この機会にそういうものも含めて今しっくりこないないもの、「これを持っていたら素敵かもな」という理由で持っているものを全て処分してみる気になった。
あるからそれを使っているものを処分して、ぴたりとくるものに買い替えたり。
SNSを見ると、こういう変化は自分だけではなくて、持っているものや行った店の多さや貴重さを誇る時代ではなくなってきているようだ。
価値観が多様化していて、それぞれの環境で満足し、楽しむようになってきているように思う。

そうしてみたら、ものだけじゃなくて趣味や知識でも、自分にはなくてもいいことがある。
例えば、自分は音楽に対して貪欲ではない。TVのほうがずっと欠かせない。
そう言うのは恥ずかしい気がしていたけれど、周りにいる音楽好きの人が与えてくれる情報だけで十分なのだ。
知らないことは詳しい人に教えてもらえばいい。
若いときには無理をしてでも見識を広げる必要があると思う。
でも、もうそろそろ、興味がないものを興味がないと言っても良い年齢だろう。
そもそも、常に多くのものを入手し、保持し続けるだけの気力や体力、財力は自分にはないと、今更ながらに思い知った。

レストランも、自分が好きな店は十分にあり、新しい店に悶えることが少なくなった。
行きたいなと思っても、実行に移すほどではない。
体力的にも、連日の外食は辛い。
何ヶ月も前から予約をすることが不安になってきた。
むしろ、散々食べさせてもらってきた美味しいもののほんの一部でも、家で作ってみるのが愉しい(もちろん遠く及ばない)。

とはいえ、気が変わりやすいので、また諸々にがっつく時がくるだろう。
そんなもんだ。